#blog2navi() 無人兵器操縦者と精神疾患 †無人兵器、操縦者、精神疾患 †無人兵器と言うものがあるそうだ。 米軍が無人兵器の活用に熱心なのは、米軍兵の損失を避けたいからだ。戦死者を出すのは教育コストの面からも、アメリカの世論の面からも避けなければならない。そのため、実際に戦場に行かずに遠隔操作できる無人兵器は、米軍にとって大変重要なのだ。 しかし、上のwikipediaの項でも触れられているが、無人兵器の操縦者のPTSDが多いそうだ。無人兵器を操り人を殺すことは思った以上に精神的なストレスを引き起こすらしい。 政治学者P.W.SingerのTEDでのこの講演では、精神疾患を多い理由を以下のように述べている。
つまり、戦場と言う非日常と日常があまりに近すぎるので、精神のバランスを崩すのだと。また先のwikipediaでは、敵を殺傷する瞬間をカラーTVカメラや赤外線カメラで鮮明に見ることが、大きなストレスにつながると言う説を紹介している。 ためらいの倫理学に見る卑怯の概念 †しかし、別の可能性もあるのではないだろうか?それは、卑怯と言う感覚である。哲学者の内田樹は、ためらいの倫理学の中で、カミュの著作を参照しながら、暴力と公正や卑怯の概念を検討している。 カミュの異邦人で、この物語の舞台、アルジュの労働者街ベルクールのモラルの説明をしている。 いわくその町でのモラルは、
というものだ。内田曰くこれは暴力における平等性をあらわしている。つまり、一対一でのサシの勝負なら良いが、一人の人間に対して、二人でかかって行くのは卑怯で男がすたるのだ。 この考え方は素朴だが、意外と真理をついている。普通の戦争の場合、自分も敵兵も同じ戦場におり、自分は敵兵を殺すが自分がミスすれば敵兵に殺される。当然、武器の性能差や兵力の違いはあるものの、命のやり取りが発生するという点で、まだ平等性が保たれている。 もしかしたら人が戦場にいて正気を保っていられるのは、相手の命も奪うが、自分の命もまたうばられる危険があると言う公平の感覚なのかも知れない。それが無くなってしまうと、思いのほか強いストレスにさらされるのかも知れない。 米軍が兵士の人的な損失を防ごうと無人兵器の導入を進めた。確かに肉体的な損失は減ったが、皮肉なことに精神的な損失は増えてしまった。 Category: [評] - 17:42:02
&blog2trackback();
#blog2navi() |