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発達した科学技術は魔法と区別が付かない。
その時代の責任のありよう。


今年度は、iamasOSでフリーペーパーを発行しています。それで、私がその中のコラムを受け持つことになりました。
今月のお題は、「世界を構築する記号である言語をプログラムすることについて」でした。
それで考えたのが、以下の文です。
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プログラミング呪術

ちょっと前に、コンピュータの2000年問題が有名になったことがあった。プログラム作成時の設計ミスにより、2000年にプログラムが誤動作し、社会インフラに影響が及ぶと言われた。実際には運良く特に大きな問題も発生せずにすんだ。

それでも、私は、この事件で何か大きな物が産み落とされたような感覚に襲われた。それはコンピュータ言語が、もしかしたら人が開けてはいけないパンドラの箱だったのではないかという感覚だ。

つまり、人の生み出したプログラムが自然災害のように人が制御できない何かをはらんでいるのではないか、ということだ。
私たちは、今まで言葉に対して、何か禍々しいこと感じることが無かった。確かに「口は災いの元」などと、言葉が凶器になったり人を窮地に立たせることがあることは知られていたが、それは単に『言葉が大きな影響力を持つ』と言う意味でしかなかった。

ほんの200年前、人はプログラム言語という形で、人以外の何かを制御する術を発見した。人は言葉で人を動かせることは知っていたが、機械を高度に制御できる言葉をはじめて手にした。人は『言葉が直接自然をコントロールできる』と思った。そして現実に多くの自然の制御にコンピュータは不可欠になった。例えば、気象、原子力などだ。しかし、言葉には、人が予想もしなかった力が宿っていた。

その力は主に、バグという形で現れた。多くの場合、バグはコンピュータプログラムの単なる設計ミスだと考えられていた。しかし、それはコンピュータの生み出した突然変異の様な物だった。だからわざわざ、バグ(虫)と言う言葉が使われた。昔、コンピュータが一つの全知全能の力を持ち、人を支配するというSFが盛んに描かれた事があった。しかし、実際にコンピュータが、人に何か害を与えるとしたら、それは全知全能の人の形をした悪魔ではなく、むしろイナゴの大群のような厄災だ。イナゴが全ての物を食べ尽くして行くように、バグは全てのリソースを使い果たす。そしてコンピュータを、それよりもっと大事なデータそのものを破壊していく。

人は、イナゴの大群が去っていくことをただ待つように、バグが収まることを祈るだろう。コンピュータは、これから先も、自然災害のように色々と大騒動を引き起こすだろう。場合によっては、2000年問題の対応のように上手くは行かずに、もっと大きな厄災が降りかかることがあるだろう。人に出来るのは、自然災害に対してするように、ただ被害が最小限になるように避けるか、嵐が過ぎるのを待つことぐらいだ。

やがて、プログラマーは、シャーマンと大差なくなるだろう。コンピュータの厄災を退け、実り多き豊穣をもたらすために。人が太古の昔、自然と交信するために使った呪術という言語が再びよみがえることになる。

shiba00@iamas.ac.jp
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昔、吉岡先生が、テクノロジーの先端部分には、デーモンが宿ると言っていた(正確には違うけど)。プログラム言語というテクノロジーにもそのようなものが宿っているのではないかと思った。
多分、もっとも厄介なバグは、それがバグだが、機能だか良く分からない様な形で、現れてくるだろう

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