大学院進学は自殺行為だ。そして、明治時代も、そうだった。 †辻さんの日記が面白かったので、まあつらつらと考えてみる。新田さんの日記の意見も面白い。芸大は、たしかに昔から死屍累々だ。美大の油とか現代美術とかでても就職先なんてもあるはずもなくそれでも納豆食べながらやっているのだ。馬鹿かと言われれば、馬鹿だろうね。 大学院進学は、自殺行為だ。多分、その通りだ。でも調べてみると、昔から、そうだったことが分かる。下の表は、明治48年の東京大学文科卒業生の進路先だ。「不明」が一番多い。昔から、理屈っぽくて、下手に年食った人間なんて企業で使いたくないのは、よく分かる。 以下二つの表は、立身出世主義―近代日本のロマンと欲望 NHKライブラリー (64)竹内 洋 (著)を参照にした。
ついでに、明治44年、東大全学科の卒業生の進路先を見てみよう。
職業未定または不詳は、法科148人/386人中 文科 32人/81人。なーんだ、昔から殺人行為じゃん。逆に、医科 5人/123人中、昔から食いっぱぐれの無い学科だったのね。多分、1950-2000年と、大学進学率の上昇に合わせて、文科系教員の需要が、あったので、顕在化しなかっただけなのかも知れない。 院生志願者よ。勉学に励め。多分、自殺行為だけど…。「大学は出たけれど」という言葉の意味が分かった気がする。私から、贈る言葉として、この言葉を差し上げよう。「ようし、死んでこい!どーんと死んでこい!」(オネアミスの翼より)。 これからの大学経営 †まあ、辻さんの言うように、これから10年を待たずに、大学は構造不況の段階に突入する。その中で、大学教員の処遇のあり方も変わってくるだろう。 企業が倒産を免れるには、次の二つしか方法がない。 理系だったら、特許などで収入を得られるかも知れない。文系だと、そのような、外部からお金をひっぱてくる方法はなかなか見つからないだろう。 教育産業においては、設備費よりも、教員にかかる人件費の方が多い。特に、社会科学・人文科学においては、設備費よりも、人件費の方が多いと思われる。今度ちゃんと調べて、果たして、実体はどうなのか調べてみます。 新規採用を抑制して、人件費を圧縮するとともに、今現にいる教員の人件費を圧縮する話がやがて出てくるのでは無いだろうか? マクドナルド化する社会の中で、大学教員のマクドナルドのバイト化の話が出ている。つまり、任期・時給制にして、賃金を抑制されるスタイルだ。 いずれにしろ、これから先10-20年の間に、余剰博士のみならず、既に職を持っている大学教員の処遇自体も、変化の波にさらされるだろう。 理事長あたりが、にこにこしながら、「全教員の給与三割減と、倒産どっちが良い?」とか口にしだしたら、やばいだろうな。良く知らないけど。 まあ、修道院でも、出来れば、そこにでも入るのになどと適当なことを言ってみる。 |