書評

或いは、焼けた鉄板の上で踊り狂う人々

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著者鈴木謙介
出版社講談社現代新書
第一章「やりたいこと」しかしたくない液状化する労働観
第二章ずっと自分を見張っていたい情報社会における監視
第三章「圏外」を逃れて 自分中毒としての携帯電話
周章カーニヴァル化するモダニティ

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ハイテンションな若者

鈴木は、ニート、監視社会、携帯電話などの現象をベースにしながら、若者が見てる世界や状況を描き出している。そこから見えてくる風景は、、「あまりに将来の見通しが立たない為に、もはや躁状態にならざるを得ない」若年者の姿である。鈴木の主張をまとめるなら、「あまりに暗い未来予測に耐えるため、若年者は無理やりにハイテンションにならざるを得ない」と言ったものだ。。

熱した鉄板の上で踊る人々

この本を読んで、私は熱した鉄板の上に囚人を乗っける拷問を思い出した。囚人は余りに鉄板が熱いで、鉄板の上で飛び跳ねるのだが、それが周りから見れば、あたかもダンスしているように見える。囚人は、熱くて飛び跳ねているのに、周りで見ている人は、「のんきにダンスしている」様に見える。その光景と、若者がカーニヴァル化する世界を生きる様は、奇妙にオーバーラップする。その熱した鉄板に気づかない「大人(マスコミ、政治家、官僚などの既得権益者、あるいは団塊の世代など逃げ切りが可能な正社員)」達は、今の若者は危機意識が足りないなどととんちんかんなことを言う。

熱した鉄板の正体

その熱した鉄板の正体とは何か?それにどうして「大人(既得権益者、団塊の世代=ニート達の親)」は気づかないのか。熱した鉄板の正体は、今まで自明だった「ライフコースの喪失」に他ならない。「一流大学->一流会社->結婚->定年まで正社員」と言った戦後自明と見なされていたキャリアパスは既に崩壊している。
今の30代以下で、定年まで正社員で年功序列でどんどん給料が上がっていくという予想をしている人間などいない(いたら相当おめでたい奴だ)。けれども、既得権益者や団塊の世代は、将にそのライフコースをまっとうしようとしてる。正確には、若者を派遣・フリーターなどの非正規雇用として使い、人件費を高齢者に振り分けることで、ライフコースを何とか維持し、自分は逃げ切ろうとしている。大人が、若者が踊っている下の熱した鉄板に気づかないのは、将に鉄板を熱しているのが、当の「大人」であるからだ。そして若者が正規雇用につかない理由を、経済的な背景(新卒を絞って、非正規雇用を増やす)では無く、若者自身の性格(最近の若い奴は、根性が足りない)へと転嫁する。

自明性の喪失

そのような自明性の喪失(鈴木や宮台の用語では、「流動性予期」)は、色々な分野で起こる。今まであって当たり前だった「良い家族像」「地域の安全」の崩壊などだ。
その自明性の喪失が、社会を「監視」する社会に変えるし、若者をケータイ電話漬けにする。「社会の安全」が失われたが故に、身の回りを監視し、家族の自明性が失われが故に、ケータイ上の友達との親密圏にすがろうとする。

多分、著者の鈴木が読者の共感を得るとしたら、それは私たちの「自明性の喪失感」を共有しているからだろう。今度は、若者の雇用を掘り下げて書いて欲しいと思う。全体として詰め込み過ぎの感はあるが、一つの筋は通っている。


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Last-modified: 2015-02-01 (日) 14:38:23 (3372d)